Essay


いつも旅をしている。
旅先には仕事を持ち込まないと決めていたのだが、最近は、そうとばかりも言っていられなくなった。以前ならば「しばらく旅をしてきます」の一言があれば、仕事に追われることもなく、優雅に過ごせたものだが、いまではどこでもインターネットに接続できる。モビリティの著しい向上は、確かに人々のワークスタイルを変えたが、私に限っていうならば、いつでもどこでも原稿を書いて送れるわけだから、もはや「旅先」はエクスキューズにはならない。
だから、最近は、旅先で「いかに心地よく仕事をこなすか」を心がけることにしている。
朝方の私は、朝食前に仕事ができる「書斎」を、まずは確保する。ホテルの部屋でもいいのだが、あえて外へ出かけることもよくある。
朝早く起きて、身支度を整えてから、ノートパソコンを小脇に抱え、宿を出る。周辺を歩いて、快適に過ごせそうな場所、面白そうなところを探す。川沿いのベンチだったり、広場に面したカフェだったり。駅のホームで、なんていうこともあった。
見知らぬ土地で、朝のさわやかな空気を味わいながら、近づいたり遠ざかったりする車のエンジン音、教会の鐘の音、小鳥のさえずり、誰かが新聞をめくる音を、聞くともなしに聞き、キーボードを叩く。コーヒーのにおい、パンの焼けるにおい、みずみずしい草花の香り、木々の梢をわたる風のにおい。それとは知らず、五感が刺激されて、いつしか感性が全開になる。気がつくと、エッセイや小説の一章が仕上がっていたりする。調子よく仕上げるためにも、旅先での「書斎」探しは、とても重要なのだ。

フィレンツェは、旅の目的地を美術館のある街といつも決めている私にとって、心豊かに過ごせる街である。ウフィツィ美術館はもちろんのこと、街のあちこちに点在する教会やパラッツォを訪ねても、いたるところでアートワークに行き会う。
有史以来、もっとも絢爛と輝いた時代であり、すぐれた芸術品の数々をこの世に誕生させたルネサンスは、この街で生まれたのだ。街中を巡りながら、その奇跡を思い出してはため息をつく。
しかし、ため息をついてばかりもいられない。フィレンツェにあっても締めきりはやってくる。
ある滞在で、私は、いつものように「書斎」を探して、早朝の街をさまよっていた。
アルノ川に架かる橋を渡り、いつしかウフィツィ美術館のパティオにたどり着いた。古びたベンチをみつけて、そこに腰かけてみた。ひとつ、深呼吸をすると、水の匂いと、何故だか微かに森のにおいがした。私は、美術館となっているパラッツォを眺め渡して、しばし夢想した。
この建物の中に、ボッティチェッリのヴィーナスが、ルネサンスの姫君たちが眠っている。まもなくドゥオモの鐘が鳴り響き、彼女たちを密やかな眠りから目覚めさせる。ヴィーナスの足下でさざ波が起こり、三美神の周辺には緑が萌えいでる。そうして、世界中から彼女たちに会いにやって来る人々を迎え入れる支度を整えるのだ。
深い森にたゆたうような感覚に身を委ね、キーボードを動かした。その朝は、特別に豊かな朝となった。パソコンの画面からも森のにおいが立ち上るような、文章が仕上がったからだ。

ウフィツィ美術館のパティオという、世界一贅沢な私だけの書斎。
あの感覚を蘇らせたくて、ドットール・ヴラニエスの〈TERRA大地〉を、いま、書斎に置いている。そして、この香りを次の旅に持って行こうと、旅人の翼を羽ばたかせている。

Maha Harada原田マハ
作家。1962年東京都生まれ。伊藤忠商事株式会社、森ビル森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、2002年フリーのキュレーター、カルチャーライターとなり、2006年より作家となる。
2005年『カフーを待ちわびて』で第一回日本ラブストーリー大賞受賞。2012年『楽園のカンヴァス』で第二十五回山本周五郎賞受賞。『キネマの神様』(文芸春秋)、『ジヴェルニーの食卓』(集英社)、『ユニコーン ジョルジュ・サンドの遺言』(NHK出版)など著作多数。